求めていたものが実は既にあったんだと気づいた瞬間

私は気まぐれに日記をつけていますが
一度書いたものを読み返すことは
ほとんどありません。

(出来事を書き残すというよりは

日々の中で忘れたくない気づきや

沸き起こった強い気持ちなどを

思いつくままに書いているのですが

たぶん感じたことを言語化することで

自分の引き出しのどこかに入れた感覚になり

それで満足するのでしょう)

でも、さっきふと
「今年の始めって、私何を思ってたんだっけ?」と気になって読み返してみたら
『私が求めているもの(常に感じていたいこと)は安心感、自由、充実感なんだと思う』と

書いてありました。

読みながら、まるで他人事のように
「ああ、こんなことを書いてたんだ。
ふうん」と思ったのですが

次の瞬間

「あれ?この3つって

全部今の私が感じてるやつだ。」となって

我ながらびっくりしたのでした。

なぜびっくりかというと
私自身の目に見える現実は

これを書いた時より

かなりマイナスな状況になっていて

そこだけみたら、この3つの感覚全てを

感じにくいような状態とも言えるからです。

例えば

お金はかなり⤵︎なっているし

(なかなかの下降っぷり😅)

仕事もこれからどういう風にやっていきたいのかよくわからなくなっている(^_^;)
仕事のみならず

これからどんな風に生きていくのかも見えていない目の前まっさら状態(・・?)

などなど…

普通に考えたら、先行きなかなかに

ヤバしっ‼️笑

 

でも、ふとしたきっかけで5月から

 

「今この瞬間を感じ切って生きる」と決めて

毎日実践していたら、いつの間にか心配というものをしなくなって

毎日安心して生きているし

(お金のある無し、先の保証のある無しと

安心感って実は全く関係ないのがわかった)

 

自由を感じてるし

(今は具体的に何をしたいかもわからないし

自分が何者でもない孤独感みたいなものは感じたけど

そもそも、自分が何者かを特定する必要なんてない。

なんでも、やりたくなったらやってみればいいし

本当はいつでも選択の自由の中にいると思っている)

毎日が充実もしている

(今この瞬間を生きているとなんでもいちいち深く味わうので、充実感、満たされ感がある)

 

でも、1月に日記にこれら求めるものを書いた時の私は、この3つに何かしらの現実をひも付けして望んでいたと思います。

例えば
安心感=お金が充分にある。

現実が望みのままにうまくいっている

とか

自由=自分がやりたいと思ったことが
なんでもできている
とか

充実感=仕事がうまく回っている
やりたいことのアイデアがあって
具現化のための行動が出来ている
とか

正直言って、今の私の現状はどれも
当てはまってない〜ヽ(´o`;💧

だけど、今なぜか全部の気分を感じて生きている。

「なんだ!この全部はもともと私の中にあったんだ!」と、わかって

突然『青い鳥』のチルチルミチルのような状態?(°_°)になったのでした。

 

求めているものは、本当は全て自分の中にある。

 

チルチルとミチルのように
外側の世界で探して
その時手に入ったと思っても
それはいつかなくなってしまう
儚いものなんだと思います。

外側の世界ありきで得た
安心感や自由などの感覚は
◯◯があるから…の
たられば条件付きの安心感や自由。
もちろん、それらが悪いわけじゃないけれど

それはたぶん張りぼてのお城のようなもので

永久に自分を守ってくれるものじゃない。

 

だけど、自分の内側のものは決してなくならない。自分自身で無いことにしない限りは。

 

とはいえ

人生や感情はいつでも変化するものだから

見失う瞬間はきっと訪れると思います。

 

私だって、安心感なんてどこへやら
外側の現実を見て
ジタバタしたり
もだえたりすることは

これから先も普通にあるんだろうなと思います。

でも、そうしたらまた見出せばいい。
繋がればいい。
自分の内側にある必要な全てと。

 

「求めるものはいつでも全て自分の中にある」

 

この感覚を思い出して。

何を感じて生きていたいか
何が大事な感覚なのかは
人それぞれだろうけど

どんなものでも
その人が必要としているものは
必ずその人の内側にあるのだと思います。

あると信じて
感じたいと願えば
最初は難しくても
いつでも必ず見出せるもの。
繋がれるもの。

それぞれの人の大切なその何かは
はじめから私たちの中で
見出される時をじっと静かに待っているのかもしれません。

 

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