なくならない怖れとどう付き合うか?

怖れって

大なり小なりいろんな時に感じるものですよね?

私も怖れをよく感じる人間です。

怖れの種類はその都度いろいろありますが

それを感じた瞬間
おなかにグーのパンチを入れられた人みたいに「うっ!」っとなり

まるで1人コントみたいな状態になってます(笑)
実はつい昨日も…💦😅

でも、生身で生きてる限り

怖れってなくならないものですよね。

だったら、怖れ自体を嫌わない、怖れない自分になっちゃった方がいい。

この、なくならない怖れをどうしたらいいかっていうと
まずはもう諦めて(ある意味開き直って)

怖れをなくそうとしないのが一番なんじゃないかと思います。

怖がる自分を感じたら、

それを許して、ただその自分と共にいる。

居心地は確かに悪いけど
そこでグッと今に留まる。

怖れを紛らそうとか

(紛らわしたくなってもそこはちと我慢してみる)

なんとかしようとジタバタしないで
ただ観察してみる。

例えば…

(怖れと自分が同一化しちゃってて)
胃の辺りがぎゅうっと固く縮まって

肩が少し上がって力が入ってるし呼吸も浅くなってるな。

ただでさえ、今精神的に「うっ!」って苦しくなってるのに、体がこれだとよけい苦しいな。

だったら、とりあえず体の力を抜いて横になってゆったりとしてみよう、とか

景色を見ながらちょっと深呼吸してみよう、とか

観察しながら、思いついたことはまずやってみる。

そうしていると、その状態からまた別の気づきも起こってきたりする。

「こうなったらやだな!怖い!」ってなってたけど、その現実が起こるって確定しちゃったわけじゃないよな〜とか…

今、自分で妄想して自分で怖がって

自作自演の1人芝居やってるみたいになってる私。
それってちょっと滑稽で笑えるなぁ〜
とか…。

今、他ならぬ私の思考が私を追い詰めちゃってるけど、そんな思考、ホントに必要かぁ!?とか…

(怖れベースの思考をいつまでこねくり回したところで、ロクなことにならないのは経験上よ〜くわかっている 笑)

怖れに限らず、何かから逃げると相手は大きくなるんだと思います。

目を逸らしたい時ほど、しっかりと対面して目を凝らす

(怖れをなんとかしなきゃ!と慌てている時は

怖れの渦の中に自分も飲み込まれていて、溺れそうになって苦しくなります。

でもそこで、慌てず騒がず?笑
ちょっとこの渦自体を観察してみようと思うと

出ようとしなくても自動的にそこからシュッと出て、渦を俯瞰して観られる安全な場所にワープしちゃうんですよね)

どんなものが観えてきても

そこで何を感じても
なんにもジャッジする必要はありません。
私たちは観察者であって、審判員ではないので…

(まぁ、観察者ってひたすら地味ではありますけど 笑)

自分に全てを許可して観察していると

自然に気持ちが落ち着いていきます。

もちろん、怖れの原因となっていることが解決されれば一番いいとは思うけど、
解決していなくても大丈夫な自分を今この瞬間に感じることはいつだってできます

それを感じたいと願うのであれば・・・

 

現実は常にうつろうもので
瞬間、瞬間全ては変わっていく。

だから、物理的な外側のことに

安心や保証なんて何もない。

でも、内側の安心感はいつだって繋がろうとすれば必ず繋がれるもの。

(その時必要な何らかの行動をとるのも

そこに繋がってからでも遅くはないはずです)

その、繋がって安心する内側のなにかを、ひとはそれぞれ神とか

宇宙とか魂とかハイアーセルフと表現しているんだと思います。

 

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