人間は長いこと、被害者と加害者であることを繰り返してきました。
個人レベルで。
集団レベルで。
国レベルで。そして、いつも絶えない争いを、地上に生み出してきたのです。
被害者や加害者を終わらせたい。
そう思っても、中々完全に終わらせることが難しいのは
輪廻転生を繰り返していく中で
被害者か加害者のどちらかに当てはまって生きることの方が
当たり前になってしまったからです。被害者の状態では、力を決して発揮することができないのは
<自己創造力>自分の人生を、自分の望むように生き
自分で切り開いていく力です。責任と創造は一体ですから
完全に自己責任を放棄している被害者の状態では
その部分に関しては、自分自身は無力で
自分には創造する力が無いと言っているに等しく
それでは、思うような創造はできません。自分の思うような創造ができない。
思ったような現実にならないと
人生や現実がうまく進んでいきません。そうすると、益々、被害者意識に陥り
被害者意識が根底にあるからこそ
連動して発生してしまう事象に苦しむことになります。被害者意識の連動性について
幾つか説明していきましょう。例えば、被害者意識が強い場合
連動して罪悪感と自己否定が強い場合があります。このような状態になってしまうと
自分の間違いを認められません。周りの人々は、その人自体を否定しているのではなく
『この部分について辞めてほしい』とか
『この部分について改めてほしい』というように
伝えているだけなのですが被害者意識が強い人は
自分自身を責めているウェイトが強すぎるので
頑なに事実を拒みます。謝罪もできない可能性があります
そうなってくると、アダルトチルドレンという名称に
該当する状態になることもあるのです次に、被害者意識と加害者意識
それに加えて、依存の連動性について見ていきましょう。
被害者も加害者も、結局は、被害者のテーマがあります。加害者の立ち位置に、ずっと立ち続けていると
とても不平等な扱いを受けて当然になります。最初は気にしないようにしていたり
「うーん違うんだけどな。私はそんなことしていないんだけどなぁ」
と思いながら少し我慢していたとしても、段々蓄積してきます。加害者は、「お前がやったんだからこれを受けて当然だ」という酷い扱いをされます。
ずっと加害者の立ち位置にされ続けていたら
加害者の立場の人もまた「酷い」ということを
言わずにはいられなくなってきます。「そんなこと、なんで言われなきゃいけないんだ」という風になり
加害者だった人も、被害者になっていきます。加害者と被害者の構図は、いつも同じで
最終的には、被害者対被害者になっているのです。これについては、一つ、国々の間の例をみてみましょう。
日本が、中国や韓国に第二次世界大戦の件で
「お前の国がやったんだ」と言われて
確かに悪いところがあったと謝罪をし続けたとします。しかし、謝罪をしても、お金を何回も払っても
「まだ足りない。まだ足りない」という感じで、何回も催促されて
いつ終わるのか、先が見えないくらいに、謝罪を要求されたとしましょう。そうなってくると、「うーんいつになったら終わるんだろう」「いつになったら許されるんだろう」
という不思議な気持ちになってくる人や、その当時、生まれていなかった人たちは
実際には関与していないことに対して、謝罪し続けなくてはならないことを
終わらせたいと感じる人もいるかもしれません。もちろん私たちは、自分自身が何かをしたことに対しての責任はあります。
もちろん相手の人間的な尊厳を著しく損ねた行為に対しては心からの謝罪は必要です。しかし、許す気がないのに、謝罪要求をしているという感覚
ずっと続いてしまう被害者と加害者の関係性は非常に不健康です。
それが続けば続くほど、非常に依存になります。つまり、加害者と被害者の課題には
依存が大きく絡んでいるのです。その依存は、常時ずっと定着している固定も発生します。
期待被害者+加害者+依存+固定期待となってくるのです。依存=固定期待とも言えますね。
依存=固定期待は、「常時、相手がそれを私にしてくれるのが当然だ」という傲慢さを含んでいます。
そういうのがあると、正当な謝罪があったとしても
いつまで経っても被害者でいることになります。被害者というのは、利点があるのです。
「何かしてもらって当然だ」という風に言える立場だからです。何かしてもらっても当然なので、貰えます。(固定期待、依存)
または、何かしてもらって当然なので、ひどい仕打ちをされて、当然という風になります(憎しみと復讐)わたしたち、人類は
依存=固定期待、「常時、相手がそれを私にしてくれるのが当然だ」という傲慢から
抜け出していかなければなりません。次に被害者と加害者と憎しみと復讐が連動していることについて見ていきましょう。
復讐というと、大層なことに聞こえるかもしれませんが
実はこれは日常的に行われています。復讐というのは、アニメやドラマや映画では
ヒーローのように描かれていることも多いのです。こういうことをした存在に対して
敵討ちをするというのは、正義のように感じてしまうことがあるのです。ある時期、とても流行ったテレビドラマで
「倍返しだ」のドラマが、何故流行するのかというのも
実は、多くの人たちが、被害者意識を抱えてるからです。会社で上司に対して、被害者意識を持っている部下が
本当は、上司に復讐したいのだけれど、それを実行する勇気がない。
けれども、ドラマの主人公は、実際に復讐をしていくので
それを見ていると、自分が出来ないことをしてくれるので
すっきりして快感が起こります。他にも、復讐をテーマにしたドラマや映画やアニメは
本当に山ほどあります。わたしたち、人間の歴史上の、争いや戦いは
憎しみと復讐の連鎖によって、繰り返されてきました。被害者になることを全員が終わらせていった時
地球は長い間起こり続けてきた悪夢から抜け出せるのです。更に、こうして、地上で長い間、被害者と加害者のループが続いてきたことにより
わたしたちは、有利であるのかを考え、利点から被害者を選び取るようにまでに
なってきました。それは、『被害者になっていれば、加害者に該当しなくて済む』
という利点です。被害者のもう一つの利点としてあるのは「被害者でいれば安泰」なのです。
我先に「被害者」と手を挙げたから、もう加害者が他にいます。
加害者が既にいるのですから、自分自身が「加害者」と言われる確率は減ります。学校や職場のいじめが起こる原因の一つに
安泰の立場を得るために、被害者になり、加害者を設定するということもあるのです。被害者は、優遇されて同情されるのが当然なので
「いろいろ、貰ってズルいわね」とは、あまり言われません。被害者から脱却できにくいのは、それだけ被害者には利点があるのです。
さて、ここまで被害者であることの利点を見てきました。
自分に一部でも該当する部分があるならば
すべて脱却できていない側面があると感じるならば
ここからお話ししていくことを、是非、読まれてください。被害者であり続けることは
同時に、非常に辛いことでもあります。被害者であるということの不利点は、現実で嫌なことや酷いことがいっぱい起こることです。
「あの人からあんなことされちゃった」というのが起こらないと
始まらないですから、酷い事象がいっぱい起こります。2020年から先は、被害者であることのリスクが
今まで以上に、高くなります。
どんなことも、コントラストが大きくなるからです。良いことも悪いことも
もの凄く両極端に現象化する現実になってきている今
被害者の自分をどこかに抱えていると
今まで以上に酷いことが大掛かりに
沢山起こるということなのです。被害者の利点を得たいために正当性を得たい為に
「酷い」「辛い」「悲しい」「苦しい」「大変なことがいっぱい起こる」
ということを、自分自身が起こしているということを認めましょう。被害者を終わらせていくことができるのは
他の誰でもない自分自身であり
本当に終わらせていきたいという
ご自身の本気の心からの決意です。これらのすべてのメカニズムの叡智を入れ込んで
構築した、超自信作、LOVING、シャンティ ヴェーダで
決意された皆さまが、本当にそこから抜け出していく
お手伝いをさせていただきます。ずっとずっと繰り返してきたことを完全に終わらせていくには
被害者と加害者の両方と、被害者と加害者であったこと
それらのメカニズムごと、叡智レベルで理解し
完全に終わらせていくことが必要となります。あらゆる、被害者を終わらせていくことに取り組んでいても
人というのは、心のどこかにイレギュラーを創り出します心のどこかで、あの事象だけについては、特別あの人が悪いとか
あの出来事に関しては、あの人のせいでこうなったなど
すべて片付いていないものが、ふとした瞬間に思い出されて過ってしまうのです。それが、あなたの自由と創造と幸せを阻んでいます。
心からの感謝を抱けない時、一部被害者である自分は
未だ終わってはいません。被害者加害者を終わらせていく際には
罪悪感の解放の許しとは異なる
別のレベルの赦しが必要でした。それは、被害者であった自分、加害者であった自分
それに加えて、加害者も被害者のどちらも繰り返してきた人類。
それらのすべてへの赦しです。想像してください。
完全に被害者と加害者の状態から抜け出すことが出来たなら
わたしたちはどれほど自由になるでしょう!完全に被害者と加害者の状態から抜け出すことが出来たなら
わたしたち個人レベルにおいても
国という人格を持ったアイデンティティーレベルにおいても
絶え間なく行われている、加害者と被害者のやり取りに
影響されることが無くなります。シャンティヴェーダは、別世界に誘われるかのように
加害者と被害者というものが存在しない次元世界で
構築したLOVINGです。シャンティとはサンスクリット語で、平和と静寂。
ヴェーダとはサンスクリット語で、聖典。平和と静寂の聖典を体験してみると
非常に重厚感あふれる内容でありながら
とても優しく癒される要素が満載のLOVINGです。このLOVINGは、フリーダムディスティニー LOVING開発体験会の場で
構築させていただきましたが、受講された皆さま、赦しが起こり優しいと
涙される方が多かったです。シャンティヴェーダは
今、現在、被害者意識である側面がある方のみならず
過去に、被害者、或いは加害者に立たされた経験がある方にも
非常に効きます。わたしたちは、被害者加害者を超えていくのと同時に
こうした体験や経験をしてきたこと自体に
大きな傷を抱えています。それが、大いなる赦しによって、赦されていくのです。
いま現在、被害者の側面を抱えていて
それに気付いて超えていかれる方はもちろんですが前の段階がそういう段階だった、前に被害者をやっていた方は
過去の被害者であった自分がどこかに存在してしまっているのですが
「わたしはもう今は違う」とプロセス着地することもできる要素もあります。「今のわたしはもう、そこに囚われない私になった」という確信と共に
その自分から、始めていけるのです。被害者、加害者、固定期待、損得勘定、依存、憎しみ、復讐
これらのすべてに関して、概念ごと、世界観ごと、赦され、超えていきましょう!
~期待される効果~
・被害者の状態からの脱却を促進します
・加害者の状態からの脱却を促進します
・被害者と加害者のメカニズムを叡智レベルで得ることで自分の中で終わっていないことが腑に落ちます。
・被害者と加害者の状態から抜け出していくので、非常に自由になります。
・被害者,加害者を創り出していた自分への気づきが起こります
・被害者加害者だった過去の自分に対しても、赦しが起きます
・自分にとっての幸せになることへ許可が出ます
・気になっていた事象について、ニュートラルな状態に立てます
・自己肯定感が上がります
・被害者、加害者という囚われがなくなります
・エネルギーや愛を違った形で受け取っていけるようになります
・事実を淡々と受け止められるようになります
・対等な関係性を選択できるようになります
・自分を愛せるようになります
・被害者,加害者というコントロールの状態から解放されます
・人間関係で傷ついた心が癒されます
・復讐というメカニズムがわかり、抜け出しやすくなります
・過去の嫌な思い出に対して、癒され赦されます
・今までどうだったかとは関係なく、ここから新たな人生を歩めます
・心にゆとりと穏やかさが生まれます
・やさしい気持ちになれます
・心に平穏を取り戻します
・過去に他者から受けた傷が癒されます
・フェアな視線で相手を見ることが出来るようになります~このような方に特にオススメです~
・被害者・加害者が、未だ一部解決していない方
・これをされたのだから、相手から何かをもらって当然だと思っていることがある方(依存)
・酷いことをされたのだから、相手に何か酷いことが起きて当然だと思った事がある方(復讐)
・過去も含め、無意識に被害者になってしまう方
・過去も含め、無意識に加害者に立たされる方
・相手の言うことを我慢して聞いてしまうことが多い方
・起こる現実を誰かのせいにしてしまうことがある方
・自分が出来るという可能性を否定している方
・心のどこかで愛される自信がない方
・自分には力がないと思っている方
・常に、可能性を感じながら生きたい方
・何処かで被害者である自分を許せていないと感じる方
・加害者にされた経験に傷を抱えている方
・濡れ衣を着せられたことがある方
・いじめられた経験のある方
・いつも嫌な事ばかり起こってしまうという方
・過去に加害者となってしまった自分を赦したい方
・人との関わりの中でついイライラしてしまう方
・被害者意識に陥りやすい方
・他者に過剰に期待してしまう方
・他者とフェアな関係性を築きたい方
・物事の悪い面ばかり見てしまいがちな方
・自分がかわいそうだと思っている方
・被害者・加害者における、悲しみや怒りを抱えている方
・孤独感に悩んでいる方
シャンティヴェーダのLOVING施術を
実際に受けられた方々から頂いた生の声です。
ご感想アンケートを元に集計しました。
多くの方々が効果を実感されています。