子どもの頃はとても内向的で、人と本当には馴染めない孤独感を感じ、なぜかいつも「ここではない何処かにかえりたい」と思っていました。

小学生の頃は、父親に「いずれは山にこもって、仙人のような暮らしをしたい」(憧れの対象は白い髭の仙人 ♡笑)などと言い、呆れられるやら「そんなんで(笑)世の中を生きていけるのか⁈」などと心配されるやら…。

いつでも人の目を気にして、本当の自分を出せずに、周りの空気を読むことには長けていく少女時代。

自分のことを好きになれず、長期にわたる摂食障害(過食症)を抱えつつも、価値のある人間(と、周りの人や社会から思われるように)になりたくて、自分に足りない何かを付け足そうとずっと必死になっていました。

高校時代に、アジアでの海外協力の仕事を志すようになり、短大で農業を学び、インドやネパール、バングラデシュへの一人旅をしながら、マザーテレサの施設や海外協力の現場を見て回る。

帰国後、茨城にて、また農業を学び出すが、母親の長年の持病であるリュウマチが悪化し、手術が必要になったため、その看病をするために夢を諦め、故郷に帰ることを決意。

約4年間の看病のあと、地元で結婚。
第二子出産後すぐに母親を亡くす。

結婚し、母親の看病からは解放されたが、息子たちには重度のアトピーや喘息があり、またも家族の病いと向き合う日々が続く。(長いこと、自己犠牲が好物でした…苦笑)

40代に入り、うまくいかなくなっていた元夫との別居を決意。
当時家族で住んでいた神奈川県から、小学6年だった次男を連れていわきに戻り、2人で借家生活を始めるが、半年後息子は約5年半にわたる不登校、引きこもりに。
母親として悩みつつも、好きな調理や接客の仕事をするうちに、カフェの開業を目指すようになる。

震災の翌年、Soup cafe あかりを開業。一人暮らしをしていた父親と同居。息子も2年遅れで高校生に。

夢を叶え、好きなことを仕事にして、それで生活していけるようになっても、やはりどこか、本当の充足感や幸せには程遠い自分を感じていた頃、作家の本田健さん夫妻から、自分の全ての感情をジャッジせずに内観すること、自分が切り捨てた自分自身と向き合い、癒し、統合することを学び、実践するうちに、生きることが少しずつ楽になっていく。

2016年、長く別居中だった元夫と正式に離婚。
認知症や癌を患い、施設に入っていた父親が他界。

その後、「全ては愛」という視座を持ち活動されている、フリーダムディスティニー創始者、平野あやさんと出会い、「ライトワーカー覚醒プログラム®︎」「スピリチュアルティーチャー覚醒プログラム®︎」「スピリットドリームマスター」を受講。アセンションライトワーカーに。

あやさんからの学びと、LOVING の施術によって、
自分ではどうしても越えられなかった壁を越えるような大きな変化を体験し、自らもヒーラーを志すようになる。

2020年2月、カフェを閉店。

私自身、今現在も、自らの統合と愛の覚醒を推し進めるべく、フリーダムディスティニーの定期セッションで指導を受け、自らと向き合い、整えることを続けています。

自己肯定感がとても低く、生きることに真の幸せを感じられなかった私も、
尊敬する師とのご縁と愛によって、
本来の自分自身を生き、喜びや感謝と共に、毎日を送ることが出来るようになりました。

人は、自分さえ諦めなければ、どんな状態からでも幸せになっていけるのだと思っています。

LOVING が必要とする多くの方に届くよう、
そして、皆が幸せになり、この世界が愛で満たされることを願い、活動しています。