自分の愛への道しるべ

クライアントさんが今向き合っているテーマ(課題)についてセッションをさせて頂き、いつも感じていること・・・。

 

ひとはいつでも深いところに「愛したい」という願いを持っているのだということです。

 

もちろん、その時々、向き合われていることもお受けになるLOVINGもそれぞれですが、その課題の根底に流れているものにじっと目を凝らしていくと、

【自分の愛を知りたい。そして、それをより純度の高いものにしていきたい】という純粋な願いを感じるのです。

例え、表面的には「愛されたい」という言葉でご自身を表されていたとしても、その方のずっと奥深い中心のところには

「愛したい」「自分の愛を表現したい」がある。

そう思えてなりません。

 

その時々、自分でも嫌になってしまうしまうようなダークな自分がいたとしても構わないのです。

自分の中心にある愛は、表側にどんな自分がいてそれを覆い隠していたとしても、少しも損なわれず、光を放ちながら、見出されること、思い出されることを待っている。

わたしはそう思います。

 

「あらゆる存在は、その存在にとっての最高の愛に向かわずにはいられない」

そう、あやさんが言われたことがあります。

 

ひとそれぞれの「自分の愛」

そこにたどり着きたい、いつでもそれを表現して生きていきたい。

 

 

そう願い、それを決めている人ほど、その愛をいま覆い隠しているものを感知して、そこにつらさや違和感を感じていらっしゃるのだと思います。

 

そうしてみると、そのつらさや違和感こそ、実は本当の自分への道しるべといえるのかもしれません。

 

私も以前は、自分の課題を感じ取るたびに、いちいち残念な気持ちになっていました。

「まだこんなだよ。自分・・・泣」みたいに。

深刻に落ち込んだりしなくなってからも、そういう残念な自分はいない方がいいと、やはりどこかで思っていたのだと思います。

 

でも、LOVINGを受けたり、あやさんからいろいろと学ぶうちに、そういったものをダメだと思ったり、嫌うということがどんどん減っていきました。

(LOVING自体が「全ては愛」というあやさんの宇宙的視座で構築されているので、否定するものは何もないということがエネルギーレベルでわかるようになってきたということもあります)

ひとの心にあるもので嫌う必要のあるものなんて本当は何もない。

ただ、その存在に対してどうしていきたいかは、その都度自分で選ぶことが出来る。

それは、否定によってではなく、ただ自分の願いによって。

 

ひと一人の尊さというものは、それぞれの願いの尊さ、愛の尊さでもあり、

ひとり一人が他とは違うオリジナルの存在だからこそ、それぞれが美しいのだと思います。

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