自分に期待しない
久しぶりのブログ更新
この1か月の間、世界的な「STAY HOME~おうちで過ごそう」という流れをいいことに?
思いっきりの引きこもり&まるっきり一人での時間をを過ごした。
閉店を決めてからの忙しかった数か月をどうにか終えたとき、
閉店後のやらなくてはいけない諸々の手続きなどを終えたら、ヒーラーとしてすぐ活動を始めようと思い、それを楽しみにすらしていたくせに、
いざそうなったら、
「あれ?私はまたここから頑張らないといけないのか?」と誰に何を言われたわけでもないのにそう思い、
なんだかいろいろなことが急にめんどくさくなってしまい・・・。
頭では、「頑張る=大変・辛い」は過去を参照にした思い込みに過ぎないとわかっていたのに、
毎日予定がないということ、何よりも時間がたくさんあることがただ嬉しいから、
いっそのこと、朝起きたらその日やりたいと思うことだけに時間を使おうと思い立ってしまったのですね。
今の私は、どうやら「めんどくさい病」?にかかっているみたいだからしょうがないよねと・・・笑
急に積極的に!世間の流れに乗り(笑)おこもり生活をはじめ、
終わりが見えないようにも思えるこの「めんどくさい病」に時々は辟易しつつも、
自分と対話しながら、ただゆっくりと時間を過ごす日々の中で、
自分にとって本当に大切なものや、自分自身のシンプルな望みが見えてきた1か月だったと思う。
一人暮らしで、誰にも会わず、何も自分に課さず、やりたくないことはやらなくていいということにすると、
私のような人間はさぞかし、ぐーたら三昧の暮らしっぷりになるのではないかという
かすかな本人の危惧をよそに、
(全ての選択の基準を、自分にとって本当に心地よいことや喜ぶことのみにしていたら)
結果的に、以外と規則正しく、なかなか健康的な生活(だと自分では思える)を送ることになった。
とはいえ、ただ自分が生きるための基本的活動以外、ほとんど何もしていないといってもいい毎日。
仕事もせず、もはや社会的には何者でもなく、こんな時勢に誰の役に立つこともない自分をそれでも大切に思い、自分の幸せを望むとは
私もずいぶん変わったものだと、散歩しながらよく思った。
以前の私は、いつでも何者かでありたかったし、自分の幸せを優先することや何もしないでただ存在するだけなんてことを自身に許せなかったから。
自分のことが好きじゃなくて、いつでも、自分がそこにいていいのだという保証みたいなものが欲しかったから、
何かができること、何かを為せることが大事だったのだと思う。
(今にして思うと、自分で自分を否定しているのに、じゃあ一体、誰に何を認めてもらえば安心できるんだよっとツッコミの一つも入れたい話ですが・・・苦笑)
時々、「あっという間に日が経ってしまっている。こんな毎日でホントにいいのかな」
「私はきっと単に現実逃避してるだけだな」
「とは言え、やっぱりまだ何もしたくない・・」という感じに気持ちがネガティブになっていくとき
その感情にフタをして、何かで気をまぎらわせるでもなく、
自分にジャッジを下して自己否定の沼に耽溺するでもなく、
ただそう感じている自分を静かに観察し、受け入れていくという、ちょっとしんどい過程の時に、
「ああ、あるがままの自分を受け入れると言いつつ、
やっぱりまだ、なるべくポジティブでいること、いつでもブレずに楽しい気持ちでいることを自分に期待してるんだなぁ」とよく思った。
「こうあらねばならない」と自分を追い込むことはもうしないけれど、
「こうありたい」という本質的な望みとも微妙に違う
「こうあることが望ましい。そうできるよね」と、自分に対してかける期待のようなものがあると。
でもそれすらも受け入れて、その自分を感じきると、
心は次第に静かになって、
自然に「こうありたい」と思う自分にもどっている。
自分に期待なんてしなくていい・・・。いつだって私はわたしでしかないもの。
等身大で今を生きるしかないもの。
投げやりではなくそう思えて楽になる。
どんなに揺れたって、悲しくなったって、これでいいのかなって不安になったって、
どんな瞬間のどんな自分も否定しなくていい。大切にしていい。
そう思う。
そして、今朝目が覚めた時、突然「めんどくさい病」が去っていることに気づいた。
(例えるなら、風邪をひいて出た熱が、ぐっすり眠れたことで下がった朝みたいな感じ)
というわけで、今日はパソコンも久しぶりに起動できたのでした。
(実はそれすらめんどくさくなっていた重症患者だったので・・。苦笑)
突き詰めて行く過程の中で、「こうありたい」と「思わなければならない」みたいな、思いが浮かんでくることもあり^^;
思考に引っ張られつつも、感覚に委ねるのも大切ですよね^^;