亡き父に思うこと
昼間とても暑かったので、夕方にウォーキング。
太陽の光がめっちゃすごいな・・と思って歩いていたら、
後ろのほうを一人で歩いていたおじいさんが、夕日を見て「すごい太陽だなぁ~!」と独り言を言ったので、
思わず密かに笑ってしまった。(「そうですよね。私も今おんなじこと、思ってましたよ!」)
がんと認知症を患っていた父が亡くなって、もうすぐ2年・・・。
最近は、高齢のおじいさんを見かけると、父が懐かしくてたまらない。
(こないだは、TVをつけたら、在りし日の織本順吉さんが映っていて、そのいかにもおじいちゃんおじいちゃんした?
独特の雰囲気に、共に暮らしていた頃の父が思い出され、思わずうるうるしてしまった。)
今思い出して会いたくなるのは、亡くなる直前のころの父だ。
身体も弱り、認知症も進み、どんどん変わっていってしまう父を見るのがいつだって切なかったのに、
不思議と今、あの頃の父がとても懐かしい。
今にして思うと、当時の私はいつも、父が老いや病いと共に失ったものばかりを数えていたんだと思う。
いや、違う。父が失ったものではない。
私は、自分が父から与えてもらえなくなったものを数えていたんだ。
親の面倒を見ているつもりでいたけれど、
結局のところ、心の奥では父に対して、愛を求めているままの、親に甘えたいただの子どもだったのかもしれない。
最後まで…。
子どもの頃の、大きく強かった父の面影をいつまでも心に抱いたまま、そして、それこそが父であると決めつけ、
目の前の、その時々のありのままの父を本当には見ていなかったのだと思う。
父との間では出来なかったけれど、どんな時も、自分の期待のフィルターを相手との間にはさむことなく、
目の前の人と向き合いたい。今はそう思う。