自分の本音をジャッジしない

何かで感情が動いた時

 

瞬時に脳内会議が始まり

意識すらしないで

なんとなく自分にこんな言葉をかけてしまうことってありませんか?

 

「このぐらい別に気にしなくていいじゃん(気にする方がおかしいよ)」とか

「いやいや、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ(忙しいんだから)」とか

もしくは

「そんな風に思っちゃ(考えちゃ)だめだよ」とか

 

自分の心が何を感じているかを

ちゃんと観ようとせずに

感情の上にさっとヴェールを被せるように自分に何かを言い聞かせてしまう。

 

これって都合のいいように

自分を説得していることと同じだなぁと

思ったりします。

 

「それじゃダメ。こうした方がいいよ。こうしなさいよ」と言って、自分を変えようとする。

 

それは、軽い気持ちでやっていても

実は、自分を無理にコントロールしようとしていることと同じですよね?

 

相手に気持ちを伝えたくて

言葉にしようとしているのに遮られて

勝手に断定されてしまったり

感じていることを一瞬で否定されたら

きっと誰しも嫌な気持ち、悲しい気持ちになると思います。

 

人にそんなことはしないという方でも

自分に対してはしてしまうことって結構あるのではないでしょうか?

 

感情が何かを訴えようとしているその瞬間に

感情や気持ちを、自分にとって都合のいい方向へ持っていこうとする。

 

それが日常化(パターン化)してしまうと

感情が伝えようとしている本当の気持ち

つまり、自分の本音がわからなくなってしまいます。

 

自分の本音=本当に感じていること、思っていること。

自分という人間の素の部分。

 

それを押さえ込んだり否定してしまうと

人の心や感情はだんだん麻痺して

動かなくなってしまうような気がします。

 

「思考」は意識して切り替えることが必要な時もあると思います。

(自分の想像、起きてもいないことで

思考が勝手にネガティブループに入って抜けられない時とか

 

でも「感情」は、ただ受け入れるものと私は思うのです。

 

どんな感情もまずは受け入れて

「そう感じているんだね」と全肯定して

それを踏まえたうえでその自分と丁寧に向き合っていく。

 

そうやって、自分の感情をしっかり受け止めていくと

ジャッジの入った自分の思考や思い込みによって自動的に流されるのではなく

自分の本音で物事を選択していけるようになります。

 

本音というのは、シンプルに「好み」と言ってもいいと思います。

 

好みはみんな違うのが当たり前。

ジャッジする必要はありませんよね。

だから、自分の本音もジャッジしなくていいんです。

 

例え、その本音を誰かにジャッジされることがあっても

自分が自分をジャッジしない。 

 

自分の本音(好み)をわかってあげる。

それを自分に許可してあげる。

 

それは、本質的な自分自身を生きるうえで

いつもどんな時でもとても大切なことではないかと思います。

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