受け入れることで癒えた私の病い その2

前回からの続きです。

受け入れることで癒えた私の病い

 

自分をコントロールしなくて済むように

(普通に食事が出来るように)

なるために、自分を強くコントロールする。

という矛盾した状態がずいぶん長く続きました。

 

過食の引き金も全くわからないので

ある意味心の準備のしようもなく

(私の場合、ただある時突然そうなるというだけで、嫌なことがあったからとか何らかの理由があって

過食が起こるというわけではなかったのです。)

 

いつ暴れ出すかわからない自分の中の

モンスターに怯え

そして翻弄される日々。

 

例え、そのモンスターが数ヶ月おとなしくしていても(もう治ったのでは?と期待するのですが)

忘れた頃に突然戻ってきてまた暴れ出す。

 

そして、激しく自分に失望する。

その繰り返し。

 

そんな日々の中

自分がそうなってしまった原因も

たくさんたくさん考えました。

 

(自分なりにいろいろな本を読んで接触障害について学んだりもしていましたが、当時の私は自分が癒されるほどには

そこから何かを受け取れませんでした)

 

そして、原因を考えるといっても

いつもどこかで自分を責めながらという感じでもありました。

 

「なんで、どうして私ってこんななんだろう!」という視点。

 

(「本当にこんな自分が嫌でたまらない!」という感情がもれなくセットされている 苦笑)

 

自分をジャッジしながらの原因探しなど

結局は自分を苛めるだけだし

本質的でもないと今ならわかりますが

 

その頃の私は過食と共に

自分自身へのジャッジからも逃れられずにいたのです。

 

でも、一人でもがくそんな状態が続いていたある日

突然思いました。

 

特にきっかけがあったわけではありませんが

 

「ここまで考えたり、治そうと努力してきたのに、やっぱり完全には克服することも原因を知ることもできない。

こうなったらもうどちらも諦めて、過食症にサレンダー(降伏)しよう」と。

 

それはとても不思議な感覚でしたが

決して自暴自棄になったのではなく

ただ静かに諦めたんですね。

治そうとすること

病を嫌って闘おうとすることを。

 

「努力しても無理だったんだから、もう受け入れて、その病と共に生きていこう」と初めて思ったのです。

 

(自分自身との終わることのない闘いに心底疲れ果ててもいたのでしょう)

 

でも、振り返るとそれは「覚悟」という感覚に一番近かったかもしれません。

 

全くおかしなものですが

そう決めてから、逆に過食に陥ることが

どんどん減っていったのです。

 

またまた次回に続きます

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